中国と日本ではたらき自由を目指すビジネスマン

10年8月~17年4月、中国上海で広告の仕事。17年5月に日本へ帰国、中国×金融×マーケティング。自己研鑽を重ね49歳に完全自由を得る過程を綴る。

「中国の今」を知るために「中国の近現代史」をサラリと流し読み①

 

1回目は1840年アヘン戦争から1911年の辛亥革命まで。

 

1840年アヘン戦争

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1840年から始まったイギリスと清の戦争。 イギリスが勝利。 南京条約を結び、香港島がイギリス領に。

 

1856年-アロー戦争

alo 1856年から始まったイギリス/フランス連合軍と清の戦争。 連合軍が勝利。 北京条約を結び、九竜半島がイギリス領に。

中国は徐々に列強(欧米諸国)に半植民地化されていく。

当時の日本と中国を比較

日本

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1867年に大政奉還明治維新以降、富国強兵により急速に近代化。

中国

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列強各国による半植民地化と 西太后が自己の権力維持のみに傾倒し、近代化が遅れていた。

1894年-日清戦争

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近代化が進んでいた日本が勝利。 多額の賠償金、台湾を日本が植民地化。

 

1898年-戊戌(ぼじゅつ)の変法

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中国が列強各国の植民地になってしまうと危機感を持った光緒帝が 日本の明治維新に習って、西太后からの体制変換を企てた。 しかし袁世凱西太后にチクったため、失敗。 光緒帝は幽閉、中心にいた康有為梁啓超らは日本へ亡命。

 

1900年-義和団事件

giwadanjiken 列強各国からの不平等条約により民衆の生活が切迫。不満が溜まっていた。 反西洋、反キリストを掲げていた仏教系宗教の義和団という宗教団体が支持を集める。 思想が過激になり列強各国の施設を襲い始めるが、列強を追い出したかった西太后がこれを支持したため、 列強8か国(露・英・仏・独・米・オーストリア・伊・日の8か国)が清に対して宣戦布告。 清は敗退し、北京議定書が結ばれ、華北地域での駐兵を認めさせる。 西太后西安へ。

 

1904年-日露戦争

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華北地域の占領をめぐって日本とロシアが戦争。 中国の土地で日本とロシアが戦っていた。 ポーツマス条約により講話、日本は朝鮮、満州の権益を得る。

 

1908年-西太后死去

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愛新覚羅溥儀が即位、父親の醇親王が実権を握る。

 

1911年-辛亥革命

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孫文

武昌蜂起を幕開けに、愛新覚羅溥儀が退位。清政府が滅亡。 代わりに清と対立していた孫文(南京に臨時政府を作っていた)と清を講話させた 袁世凱中華民国の初代総統に。

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袁世凱