中国と日本ではたらき自由を目指すビジネスマン

10年8月~17年4月、中国上海で広告の仕事。17年5月に日本へ帰国、中国×金融×マーケティング。自己研鑽を重ね49歳に完全自由を得る過程を綴る。

自分がイキイキして、熱中できる人生を送りたい

自分に向けた振返り&備忘録。

 

前に書いた備忘録。 

息子にも、自分の人生は自分で決められるようになってほしい 

 

 

僕は大学に入学した後、燃え尽きた感じになっていた。

中学からバスケや受験勉強に打ち込んで来ていて、

何かに打ち込む、ということが好き、というより癖になっていて、

何にも打ち込んでいない自分に違和感を感じていた。

大学に通い、バイトして、友達を作って酒飲んだりする、

っていうのも楽しかったけど、何か違っていた。

 

時間軸が前後するが、大学に入学する前、英語は必須、英語のみにするか、

副専攻として他の言語を勉強するか、選択できるようになっていた。

明確に覚えているが、実家の洋間で用紙に書いていて、何気なしに、

「英語だけじゃなくて、他の言語も勉強してみたいな、なら中国語でしょ」

と中国語にチェックボックスにレ点を書き込んだ。

これが無かったら、多分19歳の時に中国へ旅行も行ってないだろうし、

今の嫁とも出会うこともなく、中国で生活することも無かったと思う。

人生とは、レ点で大きく変わる。

副専攻で中国語をほーんの少し学び、大阪から新鑑真号という船で、

初めて中国上海に渡った。2002年12月末。

日中文通クラブという団体が主催する学生交流旅行で、日中の大学生が交流する旅行だった。

この旅行で今の嫁と出会い、足掛け6年ほどの遠距離恋愛を経て結婚した。

 

で、大学生活。

当時、大学生ベンチャーという言葉が流行っていて、大学生なのに、

大人と肩を並べてお金を稼ぐなんてスゴイなぁ、僕もやってみたいなぁと思っていた。

父方の祖父が小さな貿易会社を経営していて、小さい頃に何度かオフィスに行った記憶があって、

僕も彼の血を引いているなら、できるかも?と漠然と思っていた。

 

大学2回生になって、同じゼミにMとHという友人ができた。

彼らは2人とも一浪、一年休学して語学留学しており、年齢は2つ上だった。

英語を流暢に話す彼らがかっこよくて、お近づきになりたいなぁと思っていたら、

何のきっかけか忘れちゃったけど、3人でよく集るようになった。

 

3人ともお金を稼ぐということに対して興味があり、誰からともなく、

じゃぁやってみるか?と動き出し、そこから大学がある街の

ポータルサイトを作ろうということになった。

もちろんHTMLとか、デザインとか、営業とか全くの素人。

営業用ツールも不慣れなPPTを使って作り、街にある飲食店とか、

DVDレンタル屋とか、スーパーとかに営業をかけた。

確か1ヶ月掲載3,000円とか、そんなだったかな。

 

サイト制作も全くやったことなかったけど、本とか買ってきて、

ホームページビルダーから始まり、秀丸やDreamweaverを使って作っていった。

CGIもフリーのやつをダウンロードして、パーミッションをFFFTPで変更する、

なんてことをやってた。

 

ゼミの研究テーマとしても連動させていて、大学生が街に与える経済的影響は

どれくらいあるのか?なんてことも、アンケート調査したりもした。

これも何のきっかけか忘れたけど、NHK大津支局の記者さんと仲良くなり、

この取組やアンケート調査結果を取材してくれて、ローカルだけどテレビにも出た。

そこからつながって街の助成金ももらえた。

 

何か書きながら、どんどん思い出してきた。

Webサイト作っても全く見てくれなくて、クーポン利用率が悪かった。

(当時はGoogle Analyticsは無かったからCGIでPV計測ツールを入れてた。)

そうすると広告掲載してくれないから、まずは地上作戦で認知上げようと、

いうことになった。

 

で、3人の中で僕だけひとり暮らしをしていて、どんなコンテンツと一緒にしたら、

下宿している学生は興味を持ってくれるだろう?と考えて、

「あっ!ラテ欄だ!」と思った。

ラテ欄とは、ラジオ・テレビ欄のことで、新聞に載ってる各テレビ局のタイムテーブルのこと。

  • ひとり暮らしの下宿学生にとって、テレビは(当時)最大の娯楽。
  • だけど新聞も取ってないし、ザテレビジョンとか買うお金ももったいない。
  • でも、いつ、どのチャンネルで何をやってるか、知りたい。
  • ネットでも見れるけど、PCを立ち上げてYahoo!で見るのも面倒
  • このコンテンツだけをまとめて、自分たちのサイト広告+クーポンを出せば?

と思いついた。

 

これを実行するために確かやったのは、こんな感じだった。

ネットでテレビ局の向こう1週間の番組予定は見られる。

だけどこれをまるまるコピペしたら著作権で問題になるのでは?と思ったので、

大学内にいる著作権に詳しい教授に聞きに行った。

タイムテーブル自体には著作権的要素は無い、だけど番組紹介の文言には著作権がある

からコピペはダメだと言われた。

あと大阪にある読売テレビと朝日放送にも電話でアポ取って見解聞きに行ったら、

同じだった。

朝日放送で対応してくれた女性社員が美人だったのを覚えている。

 

そこからIllustratorというソフトを使って、一週間分のテレビ番組表を作った。

 

問題は印刷。

両面印刷で、確か7日分掲載してあったから、1冊4枚組。

当時の調査では街に約8,000世帯の立命生が下宿してたので、

4×8,000=32,000枚印刷することになる。

 

お金が無かったので、印刷工場には依頼できなかった。 

思いついたのは、大学での輪転機。

レポート用に申請を上げれば、大量印刷ができた。

3人で申請書を順番に書き回して、印刷。

その後、僕の下宿先まで持って帰って3人でホッチキスで止めて冊子にした。

手が真っ黒になったのを覚えてる。

 

その後は、深夜に僕の自転車、Mが車を運転できたので、MとHは車で

市内にある下宿マンションにポスティング。

確か一晩で終わらず2日間かかったかな。

 

サイトのアクセスも若干アップ、ラテ欄に付けたクーポンも利用された。

ただ、労力に対してリターンが小さく、この施策は続けられなかった。

 

僕達が作ったサイトは、結局鳴かず飛ばず。

が、3人の給料を含めなければ黒字だったので、まぁ及第点だと思う。

最後は3人で余ったお金をわけわけした。

大学生にとってはちょっとしたお金だったと思う。

 

とにかくこの取組のおかげで、

  • 2人の大親友
  • 動けば何か(悪かれ良かれ)結果が出るという実感

を手に入れることができた。

 

で、この記事のタイトル、

「自分がイキイキして、熱中できる人生を送りたい」

なんだけど、我ながらなんでこんな苦行をできたのかなぁって考えたら、

やっぱり自分が本気で心の底からやりたい、チャレンジしたい、って

思えることだったから、だと想う。

そして一緒にやりたい、と思える仲間がいたからだと想う。

 

中国に来て、曲がりなりにも自分の居場所を作ってこれたのも、

自分がやりたい、チャレンジしたいと思って、中国に行ったから。

ここでも一緒に戦う(上司だけど)仲間がいたから、やれた。

 

大人になれば、家族ができたり、過ごしてきた人生の過去のしがらみだったり、

色々あって選びづらくなっていくけど、やっぱり最後は自分がイキイキして、

熱中できる人生を送りたいと思った。

選択する過程で家族や、これまでお世話になった人たちを

振り回すことがあるかもしれないけど、それでも自分の心に従い、

あとは信じてやりきったることが、結果的に家族を、周りを

幸せにできるのではないか、と勝手に想っている。

 

更に言えば熱中できること、イキイキすることは、長い人生の局面で、変わる。

例えば、今の年齢で大学生時代にやったことをやれと言われても無理だし、

今の年齢で、且つ中国語ができない状態で中国に行けと言われてもできないし、

やりたいと思わない。

 

自分がイキイキすること、熱中することは人生のステージで変わる。 

だからその時、その時に、自分がコレや!っと思ったことに、

飛びついて、掴んで、必死取り組むっていうことの連続なんや、と想う。

 

自分がイキイキすることは自分にしか分からない。

親に聞いても、兄弟に聞いても、古い友人に聞いても、妻に聞いても、

上司に聞いても答えは出ない。

これまで2回、親父にもある局面で相談したことがあったけど、親父は2回とも

「俺には答え出されへん。お前が選ぶしかない。」

という回答だった。

そのとおりなので、もし僕も息子から、ある程度の歳を超えてからだけど、

人生の局面で相談されたら同じにように答えようと思う。

 

僕はこれからも自分がイキイキ、熱中できる人生を送りたい。

周りは関係ない。雑音には耳を防ぎ、自分の声を聞いて生きたい。