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上海と日本ではたらくビジネスマン

中国上海から中国のインターネットサービス、広告、ビジネス、ライフスタイルの今を不定期で徒然にレポートします。

息子にも、自分の人生は自分で決められるようになってほしい

中国とは関係ないけれど、ふと思うことがあったので自分向けに書く。

 

自分の人生の歩き方は、自分で決めたい。

自分自身もそうありたいし、息子にもそうあってもらいたい。

 

世界には、というか中国、日本にも自分の人生を

産まれた環境、経済的事情から自分で決められない人がいるが、

僕は幸いにも、自分で自分の人生を選択してこれた。

 

僕が人生を選択できたのは親のおかげ。

だから、僕も息子に自分の人生を選択できる自由を提供したい。

 

 

僕には姉、兄がいる。

姉、兄は小学校は公立、中学校から私立へ行った。

当時の公立中学校は荒れに荒れていて、母がそのように仕向けたのだった。

 

僕も同じコースへ行く流れになり、小学校5年生から塾に通った。

でも、僕は小学校時代にできた仲の良い友人と別れたくなくて、

本当は私立の中学校になんて行きたくなかった。

 

心の中でそう思っていたけれど、既定路線になっていたので言い出せず、

結局、私立中学校を受験した。

 

試験中、どうしても私立中学校に行きたくなくて、

わざと回答用紙に間違った答えを書いた。

いくつかの問題で、わざと間違えた記憶があるけれど、

33歳になった今でも覚えているのは国語の漢字の問題。

「スープがさめた」の「さ」を漢字で書く問題で、「」ではなく「」を書いた。

 

めでたく中学受験には失敗し、仲の良い友人と同じ中学校へ行くことができた。

というよりも、真剣に受験していても、絶対に落ちてた・・・・。

姉や、兄より頭のデキが悪かった。

 

合格発表の日、小学校から家に帰ると、母が誰かと電話をしていて、

涙ながらに僕が受験に失敗した旨を話していたのを見て、申し訳ない気持ちだった。

 

だけど、公立中学校で出会ったバスケット部の友人は、一生の友人になった。

彼らと過ごした日々は、僕の人生の宝物と言っても過言ではない。

真剣に受けていても落ちてたけど(笑)、わざと試験問題を間違えることで、

僕は自分の生きたい人生を選択した。

 

高校受験では私立の男子校を受験、合格した。

が、これは今でも失敗したと思っている。

 

この高校も母が探してくれて、僕に薦めてくれたのだった。

僕がここに決めたのは

・バスケット部があること

・勉学もまぁまぁなこと

の2点と、それ以上に

・皆と早くバスケットをしたかったから

が理由だった。

 

私立の試験はテストのタイミングが早く2月には結果が出る。

そうすれば中学校の卒業までに、仲間と早くバスケットが出来ると考えたからだった。

公立の試験は卒業式を終えた後の3月中旬にならないと、結果が出ない。

それでは遅い、という刹那的な欲望に負けて、僕はこの私立高校を選んだのだった。

 

失敗だと思っているのは、刹那的な欲望に負け、他の選択肢を探さなかったことだ。

この高校に入ったこと自体は(結果として)失敗ではなかった。

 

この高校、入る前は良い印象だったが、入った後は最悪だった。

①本当に男子だけで、女子がいない(当たり前・・・・)

②バスケット部の皆は内部生と外部生に壁がある

③勉学もまぁまぁと思ってたら、周りの人たちの大半が勉強する気ない

という状況だったのだ。

 

こんな状況だったので1年生の6月くらいだったか、母に

「おかん、ごめん、俺高校辞めるわ」と言った。

母は真剣に悩んだらしい。

 

中学校バスケ部時代の友人で、別の高校に通うNにもこの話しをしたら、

「そんなん辞めてまえ。俺、留年して、1年生のまま待っといたるわ」

と言ってくれた。

 

あぁ、こんなこと言ってくれる友人の人生を狂わせてはイケないな

と高校中退は思い留まり、理想的ではなかった環境下でも

徐々に自分の居場所を作ることができ、そのままその男子校を卒業した。

 

高校時代もバスケットに一生懸命取り組んだ。

弱小チームではあったけれど、先輩、同級生、後輩に、それぞれ尊敬できる人がおり、

一緒にバスケットをした時間は貴重な時間だった。

最初はあんまり好きになれないと思ったけれど、引退試合で負けた時は、

あぁもう皆とバスケできないんだと、涙した。

 

バスケ部を引退した翌日から、僕は頭を受験に切り替えた。

現役で立命館大へ行く、立命館大しか受験しない、と決めていた。

 

色々な大学の資料を取り寄せ、オープンキャンパスにも2年の時に行っていた。

関関同立のうち、同志社以外は全てオープンキャンパスに足を運んだ。

立命館大のキャンパスに入った時、雰囲気というか何というか、フィーリングで、

「あ、俺はここに来たい」と思った自分がいた。

関西におけるネームバリューも確かだったので、立命館大以外は目指さないことに決めた。

色々な選択肢を自分の目で見た上で、自分で選択をしたのだった。

 

 

確か受験勉強を始める前の偏差値は40前半、全く合格ラインに達してなかった。

毎日毎日、寝る、食う、風呂入る、以外は勉強をしてた。

 

同じクラスの人たちの大半は勉強する気がなく、授業中もうるさかった。

授業も立命館大の試験対策にはならなかったので、僕は耳栓をし、

話しかけたら殺すオーラを出し、授業中も立命試験対策に明け暮れた。

 

受験直前の模試ではなんとか50後半にまで偏差値を伸ばし、

経済学部、経営学部ならやっとこさC判定、第一志望の法学部ではD判定だった。

 

僕は立命館大しか行かないと決めていたので、立命館大の

経済学部、経営学部、政策科学部、法学部、国際関係学部の5学部、

経済・経営学部では2学科ずつ受けたので、7回試験を受けた。

確か1回の試験に必要な受験料は3.5万円、×7回だから試験だけで24.5万円も

両親は負担してくれたのだった。

 

高校3年生の進路面談時にこんなこともあった。

先生にも僕は、

「立命しか受けません」

と伝えていた。

その日、先生から母へ電話があったらしく、

「1つランク下の龍谷大学も受けたらどうですか?」

と提案されたそうだが、母は

「言うても聞かない頑固な子ですから、ええですわ」

と返したらしい。

 

最後の最後までC判定(合格率50%)の僕に、よく24.5万円も張って、

先生からの提案にも耳を貸さずにいてくれた両親に感謝だ。

 

ちょっと長くなったので、この記事ではここまでにしておこうっと。

まだ言いたいことの半分も書けていない気がするから、近いうちに続きを書く。