中国と日本ではたらき自由を目指すビジネスマン

10年8月~17年4月、中国上海で広告の仕事。17年5月に日本へ帰国、中国×金融×マーケティング。自己研鑽を重ね49歳に完全自由を得る過程を綴る。

実家で飼っていた愛犬が亡くなった。安らかに。

昨日、大阪の実家にいたチワワの愛犬が亡くなった。

名前はピース、という。

 

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愛犬ピース

僕はキャリアを、

滋賀県の会社

大阪のネット広告会社

上海の総合広告会社

東京の金融会社

というふうに渡り歩いてきていて、ピースは滋賀からの付き合いだった。

 

当時、滋賀で勤めた会社はペット事業もやっていて、犬を売るんだったら、

やっぱり実際に一緒に住んでみないとお客さんの気持ちも分からない、と

当時給料は少なかったのに、3万円の仕入れ値で会社からピースを家族に迎え入れた。

 

当時、僕は劣悪な環境に住んでいて、ピースもそこで暮らすことになり、

一度だけ本当に死にかけたことがあった。

何も食べず、排便も水のようなものしか出なかった。

多分、脱水症状のような感じだったので、急いで近所のマックスバリューに行き、

乾いたドッグフードじゃなく、ちょっと湿ったフードを買って食べさせたのを覚えている。

雪の中を走り回らせて、1日中ブルブル震えていたのも覚えている。

最初はそこら中に足を上げておしっこをしたのも覚えている。

 

そのあと、僕は大阪の実家に帰り、ピースも実家へ連れて帰る事になった。

連れて帰った当時、両親は

「そんな家の中で飼う犬なんてあかんで」

ともらってくれる人を探していた。

 

しかし散歩に行ったり、ご飯をあげたりしているうちに情が移ったのか、

「もうこのまま家に迎えよう」

と、本当に家族の一員になった。

 

滋賀で僕と一緒に住んでる時なんかより、めちゃくちゃ幸せな日々だったと思う。

散歩も毎日行っていたし、ご飯もきちんともらっていたし、あたたかいし、涼しい環境があった。

親父が現役を引退してからは、毎日一緒に過ごして、本当に愛されていた。

こたつが大好きで、よくこたつ布団の上でまるまって寝ていた。

多分、自分を犬とは思っておらず人間のように父や母と話すような声を出していた。

母が料理をしているとまな板から落ちたキャベツをよく生で食べていた。

 

昨日、父からLINEが入り

「ついにピースが今日、14時30分頃逝きました。」

との連絡が。

父によるとここ最近ずっと排泄もなかったよう。

昨日、玄関前でおしっこをさせ、自分で玄関に戻ろうとしたところ、ポテんと倒れたそうだ。

父は何度か心臓マッサージをして息を吹き返したそうだけど、そのまま逝ってしまった。

 

ずっと体調が悪く、そろそろかな、と覚悟はしていたのですが、やはり悲しいものです。

 

ピースの血統書、無くしてしまったけれど、多分年齢にすると15歳とちょっとくらい。

よく生きてくれた。

ありがとう、ピース。