1回目は1840年のアヘン戦争から1911年の辛亥革命まで。
1840年から始まったイギリスと清の戦争。
イギリスが勝利。
南京条約を結び、香港島がイギリス領に。
1856年から始まったイギリス/フランス連合軍と清の戦争。
連合軍が勝利。
北京条約を結び、九竜半島がイギリス領に。
中国は徐々に列強(欧米諸国)に半植民地化されていく。
1867年に大政奉還。
明治維新以降、富国強兵により急速に近代化。
列強各国による半植民地化と
西太后が自己の権力維持のみに傾倒し、近代化が遅れていた。
近代化が進んでいた日本が勝利。
多額の賠償金、台湾を日本が植民地化。
中国が列強各国の植民地になってしまうと危機感を持った光緒帝が
日本の明治維新に習って、西太后からの体制変換を企てた。
しかし袁世凱が西太后にチクったため、失敗。
光緒帝は幽閉、中心にいた康有為・梁啓超らは日本へ亡命。
列強各国からの不平等条約により民衆の生活が切迫。不満が溜まっていた。
反西洋、反キリストを掲げていた仏教系宗教の義和団という宗教団体が支持を集める。
思想が過激になり列強各国の施設を襲い始めるが、列強を追い出したかった西太后がこれを支持したため、
列強8か国(露・英・仏・独・米・オーストリア・伊・日の8か国)が清に対して宣戦布告。
清は敗退し、北京議定書が結ばれ、華北地域での駐兵を認めさせる。
西太后は西安へ。
華北地域の占領をめぐって日本とロシアが戦争。
中国の土地で日本とロシアが戦っていた。
ポーツマス条約により講話、日本は朝鮮、満州の権益を得る。
武昌蜂起を幕開けに、愛新覚羅溥儀が退位。清政府が滅亡。
代わりに清と対立していた孫文(南京に臨時政府を作っていた)と清を講話させた
袁世凱が中華民国の初代総統に。